2011年10月 7日 (金)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(99)  「トッピックス」

"冒険ダン吉…森 小弁"の著者、将口 泰浩氏の出版記念講演会のご案内

                                                                                                                               現ミクロネシア連邦大統領 エマニュエル モーリ氏の曾祖父である高知県土佐出身の

”森 小弁”について,将口 泰浩氏、(産経新聞記者”)が南海に駆けた男 ダン吉”の生涯を産経新聞にシリーズで平成23年1月1日~7月20日まで196回のシリーズで連載されました。

このたび総集編として”冒険 ダン吉になった男 森 小弁”のタイトルで単行本を出版されました。森 小弁は1869年(明治2年)土佐の生まれ、22歳で、トラック島(現ミクロネシア連邦

チューク洲)に、1891年(明治24年)に、91トンの帆船”天祐丸”で南洋に向けて横浜を出港しました。初等教育制度など導入し、住民の資質向上に多大な貢献を果たしました。その後酋長の娘と結婚し大酋長になって、素晴らしい統治をおこないました。1945年

(昭和20年)76歳で亡くなるまで、大勢の子孫を残しました。

森小弁について、記事の連載をまとめ上げるために、将口泰浩氏は何度もミクロネシア連邦へ足を運ばれて、現地で、末永 卓幸氏(チューク在住30年)等の協力を得て、史実資料を集められ、痕跡など写真撮影され、連載記事を完結されました。単行本には掲載されていない裏話などお聞きしたいとの声が高まり、

将口 泰浩氏を神戸にお呼びして、お話をお聞きする会を下記の通り、開催する事になりました。

                     記

日 時: 平成23年11月29日(火) 午後6:00~8:00

会 費:¥4,000円(軽食付き) 

場 所:神戸市中央区北長狭通4丁目3-13

兵庫県私学会館3階 電話:078-331-6623

(JR元町駅東改札出口北西へ徒歩2分)

ご出席の方は:

 氏名 住所明記のうえ:①,②,③のいずれかの方法で

                         ご返事ください。

 ①E-mail:hdh12601@hcc5.bai.ne.jp (荒木 芳雄宛て)

 ②電話・Fax:072-777-0301(荒木 芳雄宛て)

 ③〒664-0882

   伊丹市鈴原町4丁目7-6(荒木芳雄宛て)

   申し込み期限:平成23年10月31日まで

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2011年8月25日 (木)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(98)     「トピックス」

チューク在住の末永 卓幸さんから、ミクロネシア連邦にも桜が咲き誇っているとの

報せがありました。南方に桜?って、本当? と思いましたが間違いありません。下記の

通り美しい桜が咲き誇っています。

「 以下 末永さんのレポートをご紹介いたします。」

常夏の島にも春があるのだろうか・・・・。

3月~4月が北半球の春ならば、北緯7度のチューク諸島はやはり春である。1年中が常夏の熱帯の島ではあるが、気をつけてよく見ていると随所に春の季節を感じる事ができる。その筆頭が、南洋桜であろう。 3月、日本に桜情報が聞かれ始める頃、それに呼応したかのように赤い大きな花を枝一面に、一気に咲かせ始める。それ故、かつて南の島々にいた日本人達に『南洋桜』として親しまれた花だ。ただし、本家本元のか弱い桜と違い、情熱的な真っ赤な花を半年間にも亘って咲かせ続けていく。南洋桜が咲き始めた頃に感じる春の季節は、この花の最盛期には灼熱の夏の季節に突入している。この南洋桜がか弱い可憐な花でなく、情熱的な真っ赤な花であることが何となく実感できようと言うものだ。南の島は、春も情熱的だ。

南洋桜の蕾が次々に膨らみ、赤い花を咲かせ始める頃、マンゴーの木の枝先には沢山のかわいいマンゴーが鈴なりになってくる。そして4月ともなると、赤みをさして美味しそうに熟れたマンゴーが枝もたわわにぶら下がっている。大きなマンゴーの木の下に行けばいつでも熟れたマンゴーが落ちている。ローカル市場では、どの売り場にもマンゴーが山と積まれている。この時期になると道行く人達の殆どがマンゴーをかじっている。そして子供達のポケットはいつもマンゴーで膨れている。マンゴーは南の島に春の到来を告げる数少ない果物である。

チューク諸島の3月はまだまだ貿易風が強く、この風は4月頃まで続いている。ここチュークの春は、貿易風の吹き荒れる最後の季節でもある。そしてこの春の貿易風は、南の島に1つの風物詩を見せてくれる。

春の澄み切った青空に、時として雪ならぬ純白の綿が舞い始める。

手のひらほどもある大きな物から、正に小雪がちらつくような小さな物まで、様々な大きさの綿雪が春の空に舞っている。どこから飛んでくるのか、かなりの高空を大小の白い綿毛がふわふわと風に乗って流れてゆく。ふと下を見ると、路上一面に、あるいは草むらに白い花が咲くように、純白の羽毛が積もっていたりする。

『カポック』と呼ばれる綿の木の花である。

チューク環礁の大きな島々には、このカポックの木が随所に見られる。熱帯のジャングルでも一際大きな背の高いこの木はどこからでも眺められる。そして3月の声を聞くと一斉に白い大きな花を咲かせる。この花が綿雪の正体だ。手のひらに乗せても全く重さは感じない。とたんに柔らかい温もりがてのひらに広がってゆくのを感じる。それもそのはずで、どんな物体よりも浮力に優れ、断熱効果に優れている。ジャングルの木々の間から大きく顔を出し、白い綿毛の中に小さな種を包み込み、青空を浮遊する。

南洋桜が報せる真っ赤に燃える情熱的な春。

その圧倒的な春の中に柔らかい春の季節を感じさせてくれる綿雪。

巨木を覆い尽くす純白の綿の花に春の到来を感じ、青空に舞う綿雪に行く春を想う・・・。

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2011年8月 9日 (火)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(97)   「トピックス」

前回96回でご紹介いたしました「世界旅博覧会」が7月16日(土)~17日(日)

の二日間関西国際空港イベント広場にて開催されました。

主催者 ”関空旅博2011”発表の入場者数は 

           7月16日(土):13,000人

           7月17日(日):19,000人 計:32,000人

          セミナー会場入場者数は 

           7月16日(土):1544人

           7月17日(日):1783人   計3,327人

ミクロネシア連邦のセミナーへの参加者は、81名の多くの方々が参加くださいました。 

以上のごとく、今年の2011年世界旅博覧会は予想以上の訪問者に恵まれました。都心から遠距離であり、また、猛暑の中にも拘らず、予想以上の訪問者の参加に、各国担当者達もその人気ぶりと成果に大変満足でありました。

欧米はもちろんのこと、中近東や中央アジアなど各国出店ブースなどに人々が多く集まり

熱心に資料など手にしていました。これまで全く訪れた事の無い国もしくは都市などの資料を手にして、担当者の説明に熱心に耳を傾けていました。

加えて、各国のセミナーがホテル会場で開かれ、各国、各都市へ行ってみたいと希望する人々で各セミナーはどこも満席の好評で、セミナーから出てきた参加者は、すでに該当の国、都市へ行って来た様な体験が出来たと大変好評でありました。

このような、各国各都市から直接担当者の説明や、ビジュアルな映像は

より具体的にその国都市などの魅力を十分に引き出せ、参加者にアッピールできたのではないかと思う。

ミクロネシア連邦は、連邦政府、チューク州、コスラエ州が参加して、ミクロネシア連邦コーナーとしてブースを開きました。ブースでは、レインボウネシアキャンペーンを展開。ミクロネシア連邦の国起しのサポーターの参加を呼びかけました。E-mail addressを登録してもらい、国起こしについてアイディアを募集するキャンペーンであります。16日(土)387名

17日(日)437名合計824名の方々がサポーターの登録をしてくださいました。

ミクロネシア連邦に関心を持たれる方が間違いなく増加しています。期待度がそれだけ

高まっている事の証だろうと思います。関西でのミクロネシア連邦の」知名度は3~4年前と比べて、格段に向上した様に思われます。行った事はないけれど、テレビや、雑誌、

知人達から聞いた事があり、一度行ってみたいとのコメントを多く聞きました。来年24年

6月にはミクロネシア連邦独立25周年を記念して 日本からミクロネシア連邦への直行便

第一便の就航が予定されているので、今後ミクロネシア連邦への訪問者が増える事は間違いないと思われます。

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国おこしサポーター応募者達         セミナー風景

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セミナー講演会                 大阪水連阿波踊り

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チューク州観光局長メイソン氏         大阪水連阿波踊り

 

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2011年7月13日 (水)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(96)  『トピックス』

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2011年世界旅博覧会のご案内

日時:平成23年7月16日(土)~17日(日)

    10:00AM~17:00PM

場所:関西国際空港

参加国:世界各国、各都市多数

当ミクロネシア連邦も、コスラエ州、チューク州、ヤップ州、連邦政府

各代表が参加して皆様のお越しをお待ちしております。

ミクロネシア連邦ブースNO.15 空港駅ターミナル会場

尚16日(土)はミクロネシア連邦のセミナーを開催致します。

どうか、ご出席下さい。

日時:7月16日(土) 14:30~15:15

セミナー会場:”白鳥の間”(下記ホームページ参照)

 

開会ご挨拶:荒木 芳雄 (在伊丹ミクロネシア連邦名誉

                総領事館)

コスラエ州観光局:JOCV 村山氏(JapanOverseas

                Cooperation Volunteer)(海外青年協力隊員)

チューク州観光局:JOVC  笠原様(Japan Overseas

        CooperationVolunteer)(海外青年協力隊員)

ミクロネシア連邦政府: 重野 功氏(ミクロネシア連邦観光局)

下記関空旅博覧会の詳細はCtrlキーを押しながら

下記ホームページをクリック下さい。

http://www.tabihaku2011.com/

在伊丹ミクロネシア連邦名誉総領事館

              荒木 芳雄             

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2011年7月10日 (日)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(95)    「 トピックス」

チューク在住33年、日本時代の遺構や慰霊碑などの調査保存に努めておられる

末永卓幸氏から下記ご意見を寄せられましたので掲載させていただきます。

『 メチェンの海 』   - 海の自然を守り抜く -

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ダイビングボートが、ある海域でダイビングをしていて、お客様のダイビング機材を全て没収された上、1000ドルの罰金を科せられたことがある。また、ある外国籍のダイビングクルーズ船が、とある海域でダイビングをしていて、同じく5000ドルの罰金を課せられこともある。

これは全て、チュークの習慣・風習に端を発した事件である。そして、ダイビングに限らず、外国人の船舶が引き起こす海のトラブルは今も後を絶たない。

チューク諸島の文化・習慣、そしてそれを構成する人々は、現代人にとってはとても閉鎖的で、外国人が彼らの社会に進出する場合、あるいは、国が行政を行う場合、とても大きな障害となっている事柄が幾つかある。中でも、彼らの原始的な土地所有制度は、その最たるものと言えるだろう。

チューク諸島には政府所有の土地はほとんどなく、飛行場から公官庁、学校に至るまで、土地はすべてが彼等住民の所有である。そしてその土地所有制度は陸上ばかりでなく、なんと、海上にも及んでいる。島々の海岸・沿岸、そして無人島はもとより、環礁、浅瀬、暗礁、その周辺の海域に至るまで、彼ら一族、一族の所有地として大昔から今日まで変わることなく受け継がれてきた。

島で生活する者にとって、海はなくてはならないものだ。特に現代文明から隔絶した生活を営むチューク諸島の人達にとって、海は生活そのものであり、彼らにとっては死活問題にも及ぶ。古来より彼らは、海に生活の糧を求め、海に生きる術(すべ)学び、独特の海の文化を育んできた。そんな文化の一つに、彼等自らが海の自然を守り育む、独特の風習がある。それは、現地語で『メチェン』と呼ばれるもので、時に応じて、ある一定の期間、海の出入りを完全に閉鎖するものだ。冒頭の2つの事件は、この『メチェン』を無視した行為の代償に他ならない。

環礁内をボートで走っている時、ちょっと変わったサイン・目印を見つけることがよくある。

椰子の枝葉を浅瀬に突き立てているものだ。島々の海岸や無人島の周り、環礁や浅瀬など、ある海域にまとまって立ててある。これが『メチェン』の印だ。この印がある海域は、この印がとれるまで、なんぴとたりとも立ち入りを禁じることになる。無人島の場合は上陸も禁じられ、椰子を取ったり、草木を切ることも禁じられる。魚介類を獲ることなどもっての外だ。この禁を犯した場合は、冒頭の例のように、土地所有者からクレームと称して厳しい罰則が科せられる。

では、『メチェン』はどのようにして、履行されるのだろうか。

一族の有力者が死亡した場合、それを悼み、喪に服して、その一族の土地(海)からある地域を選んで、『メチェン』を設定する。その期間は、その時々により6ヶ月から1年間と様々だ。

だから環礁内の至る所で『メチェン』の印に出会う。チュークの人達はこのサインを目にしたら、どんな理由があろうとも絶対にその海域には立ち入らない。皆、この習慣を厳守する。

民族の大事な戒律ということもあるが、その前に、この『メチェン』が海の資源を守る唯一・無二の方法であると誰もが信じているからだ。もちろん私もだ。冒頭の人達は、『ダイビングならいいだろう』という簡単な気持ちで入ったに違いない。

しかしそれは、島の習慣を理解せず、無視した悪しき行動と言える。

島人達は、この一見、広大に見えて、無尽蔵とも思える海の資源も、決して無限のものではなく、限られた資源であるということをずっと以前から把握していたのだ。彼らの話を聞くと、

1年間海を空ければ、海の資源は戻ってくると言う。事実、私の体験からも、メチェンからあけて1年振りにいく海は、魚も貝も驚くほどに豊富なっているのを感じる。長い間に培われた、海の自然を守る海洋民族の知恵だ。海洋民族として生きる社会の中ではとても的を得た風習と言える。

フィッシング、ダイビング、スノーケリング、無人島巡り、など、海の仕事をメーンにしている私にとってはこの『メチェン』情報を知る事は非常に大事な仕事でもある。『メチェン』を知らずに行った場合、そのツアーは根底から覆される。いくら現地の習慣だからと言っても、お客様に申し訳が立たない場合もある。このように、ツアーの催行上、時として大変困る場合もあるのだが、この『メチェン』の印を見た時、大概私はひとりで微笑んでいる。

『よし、これでこのポイントは1年間守られる!』

今日、海の自然が次々と破壊されていく中、チューク諸島はその独特の風習、『メチェン』のおかげで、外からの破壊の波を食い止め、海の自然を守り育み続けている。

現代人から見れば、非常に閉鎖的とも思える彼らの文化は、同時に、真の地球の姿を守り続けているとも言えるだろう。

彼ら海洋民族の偉大な知恵に拍手を贈ろう。

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2011年6月29日 (水)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(94)   「トピックス」

チューク在住33年 末永 卓幸氏をお迎えして”と題して、6月24日(金)に大坂歴史博物館にて、講演会を開催、並びに大阪駅前第一ビル 11階 神戸大学 凌霜クラブラウンジにて

末永氏と質疑応答形式の講演会並びに懇親会が開催されました。主催者は 茶事ボーイズ

ガールズ代表宇山圭子氏によって、執り行われました。

末永氏は1949年長崎県対馬市生まれ。立正大学卒業後旅行会社勤務後、1978年にトラック島(現チューク島)に移住。現地でダイビングショップや旅行会社を経営する傍ら、日本時代の遺構や慰霊碑などの調査。保存に努めて居られる。秘話” トラック島に残された65年目の大和魂”を月刊誌”正論”に投稿された。旧日本海軍の連合艦隊の重要基地であったトラック諸島で、現在も住民たちが日本時代の精神が受け継がれている事などを、史実として書かれており、日本の読者から大変な反響がありました。

旧日本時代の功罪両面から検証しなければならないが、今でもトラック島の住民達が日本時代の功罪はあるけれども、それでも日本時代を懐かしんでいる事を知らされました。1914年~1945年の間日本の信託統治下に置かれた、当時の南洋群島での住民への教育制度は全く存在しなかった。学校すら存在しなかった時代に、文字、学校教育、習慣、礼儀作法、技術訓練、などなど住民を教育する事から始まった。

日本の統治時代を懐かしむ人々が多いのも、この時代に学び経験を得た人たちが多いためである。現在もなお対日感情が良好な事はこの辺りに、根拠があるようである。

日本から毎年多数の老若男女がトラック島(チューク島)を訪問するけれど、特に若者たちは日本の統治時代をあまり詳しくは知らないものが多く、末永氏が語り部として、日本の統治時代の功績の大きさを説明、改めて、日本のミクロネシア連邦への思いが認識され、ミクロネシア連邦を第2の故郷と思う日本人も増えている。1度訪問すると2度、3度と訪問する人が多いのも、その為かも知れない。

末永氏をこのたび大阪にお招きした裏千家 准教授の宇山圭子氏は

首都ポンペイ並びにチューク州にて、屋外茶会を開催、この半年間で、すでに3回行われ

好評を博した。茶道を通じて、日本とミクロネシア連邦との文化交流の一躍を担う事になる。

末永氏も日本人としての茶道の精神を現地住民に説明、理解が容易に得られたと評している。

上記大阪での、講演会後の質疑応答では、ポンペイ空港が拡張延伸される機会に、世界の主要都市からポンペイへの直行便が臨時便であっても就航することになる。世界中から、観光客を受け入れるには、ホテル、道路整備などのインフラが現状では

とても不十分であるのでは、との質問に、不十分なところは承知するも、現地住民たちには、21世紀に残された美しい楽園の自然破壊につながるインフラは必要最小限に留めるべきであるとの意見が強い事も事実である。

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講演会でご挨拶される末永ご夫妻

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ミクロネシア連邦について説明される末永 卓幸氏

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ジープ島北側から(長屋明氏撮影)

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モエン島桟橋から見るマングローブ林(長屋明氏撮影)

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20年前のジープ島(長屋明氏撮影)

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現在のジープ島(末永 卓幸氏撮影)

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シャークアイランド

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2011年6月 4日 (土)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(93)  『トピックス』

去る4月19日(火)広島県庄原市東城町 東城公民館にて、ふるさと今昔講座記念特別講演会にて、ミクロネシア連邦についての、セミナーが開催されました。地元高等学校 元校長 小田 宗氏の依頼によりこの講演会が実現いたしました。東城町は広島県中国山脈北東に位置し、人口約1万人の町である。 東城は、『東城』という名前の由来となった五品獄城(東の城)を中心に城下町としてひらけ、たたら製鉄の集散地『くろがねどころ』として栄えてきた町で、今も夢街道『街道 東城路』として指定されている城下町の街並みを残している。天然記念物としては、、国指定の『オオサンショウウオ』、『雄橋』、広島県指定の『東城川の甌穴』、『小奴可の要害桜』、『千鳥別尺のヤマザクラ』、『板井谷のコナラ』、『森湯谷のエドヒガン』、『帝釈始終のコナラ』、『新免郷谷のエノキ』などがある。また、国指定の名勝『帝釈川の谷(帝釈峡)』、国指定の史跡『寄倉岩陰遺跡』もある。さらに、郷土芸能としては、国の重要無形文化財である『比婆荒神神楽』、『塩原大山供養田植』、がある。特産品としては、りんご、しいたけ、こんにゃく、そば、米、比婆牛(牛肉)、地酒等がある。また、日本有数の石灰岩地形を利用した石灰石製品や綺麗な水を利用した醸造(酒,酢)、豆腐製造が盛んである。東城北部の道後山と南西部の帝釈峡が『比婆道後山帝釈国定公園』になっている。春の新緑、夏の避暑、秋の紅葉、冬のスキーと四季を通じて観光できる。四季のイベントとしては、東城まちなみ春まつり(3月下旬~4月上旬)、東城ためしげ福寿草まつり(3月下旬)、東城遊夏際(花火大会 8月中旬)、東城まちなみぶらり散歩ギャラリー(10月中旬)、お通り(11月上旬)がある。

他に、見どころは一杯なれど、紙面の都合で紹介できませんが、

老若男女是非一度は東城町周辺の散策を勧めたい。

講演会で、ミクロネシア連邦は、かつては、日本の信託統治下に置かれた国で、この間に、公立小学校の設立、職業訓練所、病院、役場、市場、南洋庁支所、百貨店、盛り場、などなど、インフラ整備とともに、街つくりが進み、ちょっとした都会ができていた。

現地住民も働く場所が増え、収入増で生活が豊かになり、親日感情は大変良好であった。自然豊かな東城盆地とミクロネシア連邦とは一見何の繋がりも無いように思えるけれど、西部太平洋に位置するミクロネシア連邦と東城町(日本)とはフィリッピンプレートにて、繋がっている。石灰岩にはサンゴ、ウミユリ等の化石が含まれている点などに共通点を見ることができる。東城町は農山物と鉱物とで栄えてきた街であり、ミクロネシア連邦は海域の恵みの水産物で栄えてきた。陸地で栄えてきた東城町と海で栄えてきたミクロネシア連邦とは、経済基盤が対照的で互いに補完的な交流(人的にも物流的にも)が期待できそうである。

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東城町内のいたるところで見られる咲き誇る桜の木の雄姿。

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石灰岩がいたるとこっろで露出している。観光名物の一つ

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セミナーの光景

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熱心に受講する参加者

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2011年4月27日 (水)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(92) 大統領からのメッセージ

ミクロネシア連邦大統領からの励ましのメッセージを紹介いたします。

(駐日ミクロネシア連邦大使館ホームページから転載)

12 March,2011

My Dear Prime Minister

I was shoched and saddened to learn of the

three powerful earthquakes that have caused great

damages and loss of lives in Japan,especially those

areas most affected Miyagi,Iwate,and

Ibaragi. In this respect,please allow me to convey

my personal as well that of the people of

the Federated States of Micronesia our most

heartfelt sympathies and condolences to you

and to the people of Japan but most

especially the families for this tragic loss of

lives and damages to property.

Given our historical ties and profound relationship,

I want to assure you that the people of

the Federated States of Micronesia do

share your grief,pain,and sorrow

during these difficult times of mourning.

We offer our support and prayers for a

speedy national recovery and

reconstruction,as you have done in

the past,Japan with proven resilience,

determination,and fortitude will rise

out of these destruction and assume

its rightful place in the global community.

With my warm personal regards,I remain,

Emanuel Mori

President

(要 訳)

親愛なる総理大臣へ

このたび広域にわたり東日本を襲った未曾有の巨大地震に

際し、多くの尊い命が奪われた事に深く心を痛めております。

ご家族を失った方々にはお悔やみを申し上げるとともに、多くの

大切なものを失った方々には、国民を代表して、心よりお見舞い

を申し上げます。

私をはじめ、ミクロネシア連邦の国民は,永きに渡り近い間柄

にある日本の皆さんの悲しみや苦しみを今共有しております。

多難を乗り越え、大復興を成し遂げた歴史を持つ日本の、一刻

も早い復旧をここに説に願って止みません。

エマニエル モリ

ミクロネシア連邦大統領

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2011年4月15日 (金)

荒木 芳雄の ミクロネシア連邦の紹介(91) 『トピックス』

今回は、牧 彰氏(一金会会員、一級建築士)が平成23年1月23日(日)~31日(月)の9日間 ミクロネシア連邦(ポンペイ&チューク)を訪問されました.

 『南海の楽園"ミクロネシア連邦への旅”』と題した感想記お書きになりましたので、ここに一部を紹介させて頂きます。

ポンペイ州:

① ポンペイの象徴"ソケース・ロック"を望むサウス・パークホテルのガーデンでの〈交流茶会〉は海外協力隊の皆さんに支えられて、支障なく全うできました。日本人のみならず地元住民、日系人の多くの皆さんの参加をえて、満点の星空の下での日本のおもてなしの茶道に参加者たちは心が癒された事でしょう。

②”アンツ環礁”へのクルージングは楽しい体験でした。ハターの一種の釣果はビギナーズにもかかわらず、大変醍醐味がありました。唯、日本の調理方法とは格段の差がある事には、”南国の楽園”においては所詮無理なんでしょう!

③”ナン・マドー遺跡”の石積擁壁は六角形の花崗岩を交互に積み上げた構造はポンペイ島がかつては火山島であった証である。シャーウーテル王朝(12世紀~14世紀)が支配していたころの水上都市である。これら巨大な数10トンもある花崗岩をどうやって山から運び、積み上げたか未だに謎で解明されていない。

④10万坪にも及ぶ”ボタニカルガーデン"内の『 胡椒園』は日系人のセイさんの経営で高品質の黒胡椒を生産している。農園内は東京23区名を付し、品川区、新宿区、港区のごとく

名前をブロックごとに付し、各区ごとに順番に手入れを行っている。黒胡椒以外に,椰子、パンの実、タピオカやバナナの各種が植えられている。

チューク州:

①世界最大級を誇る周囲200kmに及ぶチューク環礁には大小90余りの島々が浮かぶ。主島は、ウエノ(春島)で州政府が置かれて、チューク国際空港がある。

チューク環礁は日本の横須賀・舞鶴などと並び称される日本連合艦隊の一大軍港でした。この夏島(デュプロン)・竹島(エテン島)などの『戦跡巡り』は例え、直接戦争の体験・記憶が無くても、日本人には決して見逃せないスポットとなるでしょう。

②春。夏。秋。冬の四季諸島、月曜島~日曜諸島のごとく日本名で呼ばれていました。

とくに、デュプロン島(夏島)やエテン島(竹島)には、日本軍の施設、飛行場や基地関係の

建物、病院、遊郭に至るまで立てられていた。軍関係者、民間人。地元住民など数万人が

居住していたので驚きです。

③1944年2月の米軍艦載機1000機の猛攻撃を受け停泊中の日本の主要艦船、輸送船

50隻余が撃沈,並びにゼロ戦闘機も撃墜され、今は静かに海底に眠っています。これらの

多くの将兵達の英霊に黙とういたしました

④しかし、今回の旅の圧巻は、チュークラグーン(環礁)内に浮かぶ、小さな無人島〈オローラー島〉での

至福な一日滞在体験でしょう!少年時代に興奮しながら読んだ『ロビンソン・クルーソー』『十五少年漂流記』の世界に、しばし、感動させられました。椰子の木陰の長椅子に身をゆだねながら聞く、島に棲みついている鳥・ミツスイ(孔雀)の囀りや、寄せては返す波が環礁の破片を洗う音が、管楽器の旋律にも似て、とても、とても素敵でした。屋外の砂浜に敷布を広げて天の川を仰ぎ見ながらの睡眠も一興でしょう!周囲は一面の珊瑚礁なので、シュノーケリング(海中散歩)三昧!島を端から端までゆっくり歩いても1分もかからない小さな島ですが、椰子の木、紫檀やタコの木等の樹木が茂っている。静かに耳を澄ませば、潮騒、風の音、小鳥の囀り、木々の葉擦れ音等などの〈自然の営み〉があるのみ!水平線に沈む夕焼けは、とても幻想的であり、また、東から昇る日の出の朝焼けは、爽やかな一日の始まりを約束してくれます。

この南海の楽園を再訪する事もあるでしょう。(以上 牧 彰氏の南海の楽園”ミクロネシア連邦への旅”

から一部を抜粋して、掲載させて頂きました。

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ソケースロック(ポンペイのランドマーク)   ヴィレッジホテル

                                                    からの眺望

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ナン・マドール遺跡        日系人セイさんの胡椒園     

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  無人島 オローラ島へ向かう

http://www.youtube.com/watch?v=jxAwpPehwyY

チューク小学校生徒達から日本応援メッセージの

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2011年3月30日 (水)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(90)  『トピックス』

1975年7月20日~1976年1月18日の間開催された”沖縄国際海洋博覧会”の一大イベント

として、参加した手作りカヌー”チェチェメニ号”が遥か3,000km離れたミクロネシア連邦ヤップ州 サタワル島から沖縄海洋博覧会開催地まで、47日間の苦難の航海を無事成功さた偉業を紹介いたします。サタワル島はヤップ島より南に位置し、チューク州トラック諸島ノ西北に位置している、住民500人程度が暮らす島である。古代から、カヌーで数千キロメートルも離れた離島への交通手段として使用されてきた。遥か遠方の離れた島々へも

海図もコンパスもなく、正確にピンポイントに目的地に到着する技術は、祖先から伝授され、今日この技術が生かされているのである。太陽と星の位置、鳥の群れ、漂流物、雲の動きなどを彼らの鋭い目で、方角を正確に把握する能力を持っている。夜でも波が島に当たって、跳ね返ってくる波のうねりで島が近い事を知る。カヌーは20メートルくらいに成長したパンの木を8本

程度酋長の許可を得て切り倒し、1年以上乾燥させ、船の寸法に合わせた長さの丸太にすることから始める。斧を使って丸太を削り、船体を作り上げていく。この工程には20年以上の経験を積んだ船大工が中心になって仕上げていく。金属は一切使わない。椰子の葉枝で撚りあげたロープで帆を結び付ける。帆は椰子の葉っぱを織り上げた丈夫な帆を装着するのがこれまでの習慣であったけれど3,000キロメートルの大航海で有り、雨風、海水に濡れたりして乾燥しなかった場合は、帆自体が腐食する恐れがあるため、今回のみ化学繊維の帆を使う事になった。選ばれた頑強な男達6名がこの大航海に挑戦することになった。1975年10月27日出港、全島民達が航海の無事と成功を祈って送りだした。

サタワル島から北へ900キロメートル離れたサイパン島を11月24日に到着。北緯20度くらいのマウ島あたりから北風が強く寒さの洗礼を受け男たちは耐えしのいだ。出港から47日めの

1975年12月3日沖縄の南大東島を経て、海洋博覧会場へ出帆から47日振りに無事目的地に到着した。

カヌーの 全長:810cm 船体の高さ:170cm、中央の幅:115cm、マスト:750cm,カヌーのバランスを保つため、大型のアウトリガーを装着している。この偉業を遂げたカヌーは現在民族博物館(National Museum of Ethnology)の

オセアニア館に特別展示されています。現物は想像以上に大型で、頑強な構造に驚く。船底は狭く横になって休めるスペースはない。

*クリックすると画面が拡大します。

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                      オセアニア展示館               チェチェメニー号スペック         

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             チェチェメニ号の解説                    チェチェメニ号実物

http://www.youtube.com/watch?v=jxAwpPehwyY

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