2013年11月20日 (水)

ミクロネシア連邦・日本外交樹立25周年「トピックス」(114回)

平成25年11月1日 ロイヤルパレスホテルにて、ミクロネシア連邦・日本外交関係樹立

25周年式典並びに独立記念祝賀会が開催されました。1000名近い参加者で会場内は

大変賑わい盛大な式典でありました。ミクロネシア連邦からはモリ大統領および連邦国会議員20数名も参加して大いに盛り上がりました。

ジョンフリッツ駐日大使の開催挨拶に続いて,モリ大統領のスピーチがあり、ミクロネシア連邦と日本の関係がますます密接になるのを実感。

前日10月31日にモリ大統領と安倍総理大臣との会談が行われ、会談の内容の一部も披露された。

安倍総理からは太平洋戦争でミクロネシアでの戦死者の残された遺骨収集を加速したいとの意向も延べられた模様である。

ミクロネシア連邦政府は遺骨収集に全面的に協力する旨応対したとの説明がありました。

当日は午後1:00から外国企業にミクロネシア連邦に会社設立することによって、税制に関する優遇措置が受けられるせみなーが開催されました。多くの日本企業がセミナーに

参加し、熱心にセミナーに耳を傾ける担当者で会場はほぼ満席となった。

                                                                                ミクロネシア連邦25周年式典の一部

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モリ大統領            ジョン フリッツ大使

 

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2013年9月14日 (土)

FSM・日本外交関係樹立25周年記念式典の開催(お知らせ)113回

ミクロネシア連邦(FSM) が日本と外交関係を樹立して25周年を迎えることになります。

ささやかでありますが、下記の予定で記念式典を開催致します。

併せて、フレンズ・オブ・ミクロネシア以下FOM)((NPO法人)の設立25周年を迎えますので

共催で開催することになりました。

日時:2013年(平成25年)9月25日、午前11:30~午後3:00

場所:神戸市中央区北野町1-2-17

    セントジョージ ジャパン(フレンチ レストラン)

    電話:078-242-1234

 来賓;兵庫県・神戸市 から各代表並びに経済界からも10数名の来賓の出席を予定しています。

ミクロネシア連邦 駐日特命全権大使 ジョン・フリッツ氏も出席致します。

20周年記念式典は2008年10月26日(日)に神戸で盛大に開催致しました。定員120名で開催いたしましたが、実際は220名の参加者で会場内が人々で溢れかえりました。10の周年記念の20周年記念はこのように盛大に行う事が出来ました。今回は5の周年記念ですので、ささやかに開催することにいたしました。

今回はレストランの収容人員に制約がありますので、定員80名で行います。

今回はFSM政府から感謝の気持ちで、式典参加者全員に FSMの女性たちの

手作りの”貝殻のネックレース、Shell Neck Lace (Lei)"を一本づつプレゼントする

との事であります。当日は会費2000円をお願いしていますが、軽食ランチの費用の

一部に充当させていただきます。

予定していますイベント:

   GOTOダンススクール:女性ダンサー10名の皆さんのFra Dance Show

      DVD放映:ミクロネシア連邦のDVD放映

   お土産:ミクロネシアンクッキー&バナナケーキなどもお持ち帰りで用意いたします。

   抽選会を行います:ミクロネシアの民芸品、他お楽しみ景品多数用意しています。

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受付風景                             会場内 定員オーバー

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GOTO フラチーム                       さすがに、プロのフラ

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武庫川女子大学 学生                    1/95 の確立の航空券の幸運を引き当てた

 

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2013年9月 5日 (木)

メレヨン島の続編 ミクロネシア連邦の紹介(112)トピックス

前回107回、と109回で紹介させていただきましたメレヨン島の悲劇について、ご遺族の方から問い合わせを受けましたので、再度続編として取り上げます。

広島県福山市にメレヨン島の慰霊碑が建立されている事をご存じなかったので改めて

ここで慰霊碑のことなどご紹介いたします。慰霊碑とその後ろに銘碑(将兵5200名の

氏名が銘記されている) が福山市の”備後護国神社境内に建立されています。

全国メレオン会 副会長代行 峠本さんが中心になって参拝を続けておられます。

毎月1月と4月を除いては1日を参拝日と決めて多くの遺族の方々が参拝に訪れ

ています。1月、4月は7日が慰霊祭につき、前日の6日に参拝することにしていると

峠本さんは仰っています。ある遺族の方は、銘碑に刻まれている祖父の名前を

見つけ思わず感動の涙を流された。

メレヨン島の空港の滑走路が水没して使用不可の状態のまま今日に至り,

訪島の手段がいまだ無く遺族の訪島への思いは高まるばかりである。今回9月後半に厚生労働省の担当官と遺族代表の3名の皆さんがチャーター船で慰霊の訪島をされることが一旦は検討されたが、海上保険条件に合致する船舶が確保できないため再び先送りとなっている。

今なお残された遺骨の収集を再開を望んでおられるご遺族の思いが一刻も早く実現する事を期待したいと思います。

下記写真は全国メレヨン会 副会長代行 峠本 月三様(タオモト ツキゾウ)提供)

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備後護国神社に建立されている慰霊碑

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5200名の将兵の氏名が刻まれている銘碑

(メレヨン島はヤップ州東南600キロメートル)に位置する Woleai atoll

珊瑚島の別名)

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2013年8月 2日 (金)

武庫川女子大学とミクロネシア連邦とのかかわり 「トピックス」 (111回)

甲子園球場と隣り合わせに位置する"武庫川女子大学 英語文化学科、MUKOGAWA

ENGLISH COMMUNITY"の学生ボランティア グループMEC(准教授 米田 みたか先生のご指導のもと)

と ミクロネシア連邦とのかかわりについては このブログ(73回09年11月17日付)でも紹介いたしました。

NPO法人フレンズ・オブ・ミクロネシアがミクロネシア連邦に日本の絵本を届ける活動をサポートするため武庫川女子大学MECの学生たちはすでに180冊の絵本を英訳した。

同大学の英訳ボランティアは先輩たちから後輩たちへバトンタッチされて、継続されてきたもの。本年5月に、「ミクロネシア連邦と日本との関わり」と題して、フレンズ・オブ・ミクロネシア

の増村和門さんと荒木名誉総領事の講演を開催いたしました。この講演会のことが同大学のホームページに紹介されたところ、”旺文社の蛍雪時代8月号にも掲載されることになりました。MECのリーダーを務めている英語文化学科4年の芝田舞香さんと志水祥子さんは講演を通じて、とても親近感が湧いてきました。現地の子供たちが喜んで絵本を手にする様子を伺って、メンバーたちの翻訳へのモチベーションはさらに高まった。とコメントされています。

日本語の絵本を英訳してミクロネシア連邦の子供たちに届ける活動は、すでに昨年9月に

第一弾として、30冊を昨年9月にフレンズ・オブ・ミクロネシア を通じて現地小学校へ

届けられた。今後この絵本がミクロネシア連邦全土の小学校もしくは図書館に寄贈され

多くの子供たちの喜ぶ姿をイメージしながら、学生たちは翻訳に一層モチベーションが高まることを期待したい。

本年9月に神戸で、”ミクロネシア連邦・日本外交樹立25周年記念祝賀会が

開催されるので、武庫川女子大学の同国への絵本の寄贈についてご紹介したいと思います。

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学生達の第一弾の絵本が子供たちに大変喜ばれて

説明を聞いて納得。

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質疑応答に応える。

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増村和門さん。来年現地に行きましょう!と問いかけている

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2013年6月 6日 (木)

関空世界旅博覧会 ミクロネシア連邦の紹介(110回)「トピックス」

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本年も5月18日(土)~19日(日)関西国際空港 イベント広場に於いて、世界旅博覧会が

開催されました。恒例化されているので、会場は参加者でごった

返すくらいの賑わいでした。ミクロネシア連邦のブースはステージの真横でしたので、昨年の

倍増の訪問者で、用意いたしました”記念品(携帯ストラップ、ロゴ入)”も見る見るうちに底をつき、やむなく一部翌日の為に配布を中止せざるを得ない状態でした。

今年の特徴は、ミクロネシア連邦へ訪問したことがあるとおっしゃる参加者がかなり多かったことが特徴ではないかと思います。中には、JICAの海外青年協力隊員として,昨年まで

ポンペイ、チュークに滞在された方が来られました。

これまではミクロネシア連邦の事は全く知らないとアンケートに書かれる人が圧倒的に多かったのが、知ってる.一度行きたいと思っていると書かれた人が多かった。

18日(土)鶴の間ーA 12:00~12:45、ミクロネシア連邦の国おこしに貢献する旅

”ソーシャルツアーにいらっしゃい”!に関連しての、DVD映像に、原住民の日本人ツアー

を歓迎する場面は感動的であった。日本語が現地の言葉に数多く融合しているいくつかの

単語を使っている場面で登場した日本語の数々を参加者が覚えているかの否か放映後に

クイズ形式で回答を求めたところ、デンシンバシラ、ナマイキ、ラーメン、カイジョ、チチバンド

(ブラジャー)などほとんどの人が覚えていて、大変和やかなセミナーが成功裏終えることが

出来ました。

ミクロネシア連邦の知名度が向上したことに関係者として大変うれしく思いました。

大変すばらしい世界旅博覧会でありました。

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中国伝統芸能 変幻自由に演舞の披露に観客興奮

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2013年4月11日 (木)

メロヨン島の旧陸海軍の悲劇(107回の続編)   「109回」

表題について107回で前半を紹介いたしましたが、続編を下記紹介いたします。

メロヨン島(ヤップ州東南600KM Woleai 環礁)に陸海軍合わせて総員6,800名中

空爆と飢餓,悪疫で5200名余が倒れ、その中から生還者と遺族で組織された全国メレヨン会が組織化されました。

メレヨン島の遺骨収集。受領.慰霊の訪島は戦後15回実施されました。内7回は厚生労働省

(厚生省)の主催で行われました。平成23年度遺骨帰還等慰霊事業については、遺骨帰還事業として8地域(フィリッピン、東部ニューギニア、ビスマーク。ソロモン諸島。インドネシア。

パラオ。モンゴル。沖縄.硫黄島)とソ連抑留中死亡者の遺骨帰還となっている。

また,慰霊巡拝事業としては南方地域(フィリッピン、東部ニューギニア。ビスマルク。ソロモン諸島。インドネシア。パラオ。中国。硫黄島)、ロシア連邦等5地域と指定されている。

しかしながら、遺骨帰還事業項目にメレヨン島(西カロリン諸島)は対象に含まれていない。

しかし、都道府県の遺族・団体。協力者等から埋葬地など遺骨に関する情報がよせられた場合は厚生労働省へ随時連絡願いたいとの項目があるので、メレヨン島の遺骨収集は島民の友好関係を築きながら過去15回実施してきた。この度。島民の関係者から島民の手で15袋

の遺骨が収集されたと報告を受けている。

さて、その後現地Woleai 環礁における空港滑走路が残念ながら、水没を繰り返し、現状としては使用不能の状態である。

飛行機が使えないとなると、月一回の定期航路船があるが他島を巡回して再び同島に寄港するのは約一か月後となるため、この船舶も事実上、使用は適さない。

民間の船舶のチャーターを検討するもチャーター費用なども高額で検討を重ねるも

遺族会のみの負担では大変厳しい。厚生労働省の支援を受けるべく今後の検討課題となっている。

注;メレヨン島とは、米軍の通信傍受を防止するため、日本名にて命名した島名で

   Woleai 環礁の事。

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2013年3月20日 (水)

ミクロネシア連邦に桜が咲くって本当??     (108)  「 桜 」

ミクロネシア連邦 チューク州に33年在住される末永 卓幸さんから、現地の風景写真など

沢山の画像を送っていただきました。それらの画像の中に美しい花木の写真がありましたので、この花は何と云う花ですか?とお尋ねしましたところ、”これは日本人のもっとも好きな桜ですよ”と教えられ大変驚いた次第です。まさか常夏のミクロネシア連邦(北緯0度~12度、赤道の真上に位置する。)に桜が咲くなんて信じらませんでした。この桜について、歴史的な

背景などお聞きすると:

 1800年頃、スペインの宣教師が布教のため、ミクロネシア、ポンペイに桜の苗木をマダガスカルから

持ち込んだ。日本と同じ3月~4月頃に咲き始めるとの事。日本の代表的なソメイヨシノ

との品種は異なるが、満開の状態が3ヵ月も4ヶ月も満開の状態が続く特徴がある。

灼熱の太陽を浴び、雨にも恵まれ、南国育ちの寿命の長い花弁は南洋桜として、長く

現地の日系人や日本人たちから愛されてきた。この南洋桜は日本での正式名は

「鳳凰木」と呼ばれ、花びらの形状が古代中国の伝説の鳥「鳳凰」に似ていることから

この名がある。またの名を”火炎樹”とも呼ばれ、燃えるような花の状態から名付けられた。

その名は英語でもFlame Tree(炎の樹)と呼ばれ、真っ赤な炎を思わせるこの花の特徴をよく表している。世界中の熱帯から亜熱帯地域に分布しており、それぞれの地域で、象徴的な花として南国の人々に愛されている。街路樹や公園、民家の庭、山すそにと、一年の半分近くをその独特な真っ赤な花々で飾っている。

Ok

日本名で「鳳凰木」と呼ばれ、花びらの形状が中国の伝説の鳥

「鳳凰」に似ているからこの名がある。

Photo

日本のソメイヨシノに近いけれど、常夏のミクロネシアで進化して

花弁が3ヶ月~4ヶ月咲き続ける。

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2013年1月18日 (金)

荒木 芳雄のミクロネシア連邦の紹介(107) 「トピックス」

太平洋戦争終戦直前の旧日本海軍並びに陸軍の他地域のみならず、ミクロネシア連邦に於いても悲惨な日本軍将兵たちの悲劇を取り上げて、この事実を知っていただきたく思います。

中部太平洋トラック島(現チューク州トラック島)とパラオ島の中間にあるメレヨン島に

日本軍将兵、海軍、陸軍、軍属総員6,426人が当時前線が同メレヨン島を中心に展開される事を予期して配属されたが、米軍がパラオ、べリュリュ島に上陸(1944年6月)して以降、戦線がグアム、パラオ以北に移ることになった。

戦線の背後に取残された為に悲劇が起きた。メレヨン島はサンゴ礁による環礁で海抜は0.5メートルから3メートルの珊瑚島10数個からなる環礁で、地下水は塩分を含みデング熱など伝染病が多発したと伝えられている。

陸軍の独立混成部隊第50旅団の3205人、海軍が第44警備隊と第216設営隊を中心に

3221人 合計6426人がメレヨン島に駐屯する決定が参謀本部で下された。

戦線がパラオ、グアム以北に移ってから日本からの補給が完全に断たれ為、自活のための農耕さえままならず、とてもこれだけの人数に見合う食料は皆無に等しかった。

敵にも味方にも見捨てられ、餓死者が多発、戦わずして、死んでいく将兵たちの無念さは幾何で有ったことか。この島から生き残って日本の土を踏んだのは、陸軍786人、海軍840人,計1626人、死亡率は実に75%であった。陸海軍合計4800人が餓死したことになる。

メレオン島とは当時米軍に対して、地名をカモフラージュした日本名をメレヨン島と命名した。

メレヨン島の実際の名前は"Woleai Atall"ウオレアイ 環礁のことである。

終戦後、遺族会が厚生省援護局などの支援により数回遺骨収集に現地へ渡航し、

遺骨の大半は日本へ帰還されたとするけれど、今尚、遺骨は、海抜ゼロに近いところに

埋葬されたはずが、風雨にさらされ、地上にさらされている様である。

遺族の方々が再度、渡航するべく現地調査など行っている。

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