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2014年1月15日 (水)

メレヨン島の悲劇の詳細、ミクロネシア連邦 (115回)

平成26年1月15日

メレヨン島の悲劇の再掲載

太平洋戦争終戦末期の旧日本海軍並びに陸軍将兵達約6000余名の悲劇を

ご存知でしょうか?中部太平洋ヤップ州東南600キロに在るメレヨン島に日本軍将兵、海軍、陸軍、軍属等総員6,426人の将兵達が、当時戦線がメレヨン島周辺に展開されると予想した参謀本部の指令により同島に配属された。しかし、米軍はパラオ、ぺリリュウ島に上陸(1944年6月)して以降、戦線がグアム、パラオ以北に展開されることになった。

 戦線の背後に取り残された為に、食料、医薬品など生活必需品の供給が

中断してしまい、残された将兵達の悲劇が始まることになる。メレヨン島はサンゴ礁による環礁で、海抜は0.5メートル~3メートルの珊瑚島10数箇所からなる環礁で、地下水は塩分を含み、健康障害になるうえにデング熱などの伝染病が多発したと伝えられている。陸軍の独立混成部隊50旅団の3205人、海軍第44警備隊および第216設営隊を中心に3221名、合計6426人がメレヨン島に駐屯の命令を参謀本部が下した。

戦線がパラオ、グアム以北に移ってから、メレヨン島への補給が完全に断たれてしまい、自給自足の農耕すらままならず、とてもこれだけの人数に見合う食料は皆無に等しかった。現地住民たちのわずかな食料の提供などもあったが、もちろんこれだけの人数分は焼け石に水で、とてもまかなえるものでは無かった。

敵にも、味方にも見捨てられ,餓死者が続出、戦わずして、命を落とす将兵達は言葉に言い尽くせない無念さはどれほどのものか想像を絶する。この島から

生き残って、日本の土を踏んだのは、陸軍786名、海軍840名、合計

1626名、死亡率は実に75%と報告されている。陸海軍合計4800人が餓死、または病死したことになる。メレヨン島は実名ウォーレアイ環礁(Woleai Atoll)の事である。当時米軍の情報網にかからない為にカモフラージュした日本名をメレヨン島と呼んでいた。

終戦後、北海道、東京と福山市に生還者と遺族でメレヨン遺族会が設立され現在も活躍中である。

平成26年4月7日に福山市 備後護国神社境内で、メレヨン島戦没者慰霊前にて、第45回全国メレヨン島戦没者追悼慰霊祭が開催されることが決定している。厚生労働省などの支援により、現地へ遺族が15回渡航し遺骨収集を行っている。内7回は厚生労働省の主催で実施された。

しかし、遺骨の大半は日本へ帰還されたとするけれども,今尚、未帰還遺骨は

多数存在していると考えられている。海抜ゼロメートルのところで、埋葬されたはずの遺骨が風雨にさらされ、地上にさらされることがしばしば起きていることが報告されている。平成23年度遺骨帰還等慰霊事業については,遺骨

帰還事業として、8地域(フィリッピン、東部ニューギニア、ビスマルク、ソロモン諸島、インドネシア、パラオ、中国,硫黄島)、ロシア連邦等5地域と指定されているが、遺骨未帰還事業項目にメレヨン島(西カロリン諸島)は対象に含まれていないが、都道府県の遺族、団体、協力者等から埋葬地などの遺骨に関する情報が寄せられれば、厚生労働省へ随時連絡を願いたいとの項目があるので、メレヨン島の遺骨収集は現地島民の友好を築きながら、過去15回実施してきた。

最近の情報では、厚生労働省支援のもと、船舶によりヤップ島からに2昼夜の航海で現地への渡航が検討されている様である。一日も早く実現することを祈る。

                在伊丹ミクロネシア連邦名誉総領事館

 

Photo

ヤップ島南東約600キロ,環礁、海抜0~3メートル

5

太平洋上に位置する孤島

厳しい環境なれど約1000名の住民居住

上記写真はインターネット掲載写真から

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