2014年9月23日 (火)

ミクロネシア連邦の紹介(ナンマドールとポナペの旅)(118)

このたびワールド航空サービス(東京、大阪、名古屋、福岡、札幌、仙台、藤沢などの各支店、営業所など情報を共有)がミクロネシア連邦 ”謎の海上遺跡 ナンマドールとポナペの旅”の企画書を発表いたしましたのでご案内いたします。

一回目) 12月7日(日)出発 12日帰国 

二回目)   1月11日(日)出発 16日帰国

三回目)   1月25日(日)出発 30日帰国 の3回いずれも6日間のツアー

スケジュール:

1日目 成田  11:00出発→グアム15:45着

           19:45 ポナペへ出発

2日目      ポナペ00:45着 カトリック教会、日本人墓地、スペイン砦

                      ドイツ鐘楼、市場など訪問

3日目 ポナペ市内、ナンマドール遺跡、ケプロイの滝など 観光 

4日目 ポナペ、ナーラップ島へエクスカーション,釣り、シュノーケル

5日目 グアムへ出発(チューク経由) グアム宿泊

6日目 グアム→成田へ 15:00着

旅行代金:¥258,000.-

希望者はワールド航空サービスに直接コンタクトください。なおワールド航空のホームページは:http://www.wastours.jp です。

| | コメント (0)

2014年4月15日 (火)

ミクロネシア連邦の紹介(117)メレヨン環礁の滑走路跡

メレヨン環礁(Woleai Atoll) での悲劇はこれまで数回紹介いたしましたが、遺族の方々が
未だ未帰還の遺骨の収集に過去何度も政府関係者(厚生労働省の担当官)と共に渡航されてきたが、最近の同環礁の航空機滑走路は水没状態で、もはや航空機での渡航は不可能の状態である。唯一の渡航手段は船舶に頼る以外方法はない。船舶の場合は最低
丸二日間の航海になりかなりきつい船酔いは避けることが出来ない。
同環礁には約1000人が居住しているけれども、自給自足体制が出来ており、特に環礁外への渡航はあまり行なわれていない。
その後同環礁への未帰還遺骨収集の訪問が航空機では不可能であることを紹介いたしましたが、遺族会の方が最近船舶で訪問された際に撮影された滑走路跡の貴重な写真を下記のとおり掲載いたします。
全国メレヨン会 副会長代行 峠本様よりご提供頂きました。

Photo_7

水没後の荒れ放題の滑走路

| | コメント (4)

2014年4月 8日 (火)

自然豊かなミクロネシア連邦へ(116) トピックス

平成25年9月25日に開催致しましたミクロネシア連邦・日本外交樹立25周年記念式典

の際に多数の参加者から。是非ミクロネシア連邦へ行って見たいとのご意見が多く出ました。

日程は定期便の関係で日曜日から~日曜日の8日間ですが、いつ出発の日曜日を選ぶかで、参加者の人数が決まるので、候補の日程を2~3決めて、結局平成26年3月23日(日)~3月30日(日)に決定させて頂きました。この日程では都合の付かない方も多く有りましたが、最終的には10名(男性6名、女性4名)の方が出席されました。

25周年記念式典出席者からミクロネシア連邦を訪問することになりましたので、現地

連邦政府上げて、私たちの訪問を歓迎してくれました。

初日3月24日(月)は連邦政府、外務省、資源開発省、ポンペイ州知事、日本大使館、

JICAポンペイ事務所、などを表敬訪問いたしました。10人中8人が始めてのミクロネシア連邦訪問となるので、外務大臣、資源開発大臣、ポンペイ州知事などから、ミクロネシア連邦の第一印象を尋ねられ、インフラ整備はまだまだなれど自然の豊かさには一同大きな感動につながった旨伝えたところ、各大臣たちは、自然環境保護に努めている旨説明があった。環境破壊してまで、海外から旅行者を増やしたいとは思わないと。

チューク環礁は世界最大直径60キロもあり、90の島々が点在する。

日本海軍最大の基地として、艦船の大半がここチューク環礁に集結した。戦艦大和、武蔵が同時期に停泊した実績がある。

四季島の春島、夏島、秋島、冬島と曜日島、月曜~土曜島まで島々には旧日本軍の

ゼロ戦用の滑走路などが残されている。山本五十六元帥も、この夏島のゼロ戦用の滑走路からルソン島へ飛び立たれた。通信が傍受され、途中敵機に発見され撃墜され戦死された。1944年2月に米軍機200機に及ぶ猛爆で日本の連合艦隊主艦船の大半をこのチューク環礁で撃沈されることになる。これらの沈潜が40^50 隻が海底に横たわっていて、

これら沈潜を撮影するために世界中からダイバーが毎年多く押し寄せ、観光スポットとして

注目されている。日本人ダイバーは沈潜を避け、熱帯魚などを追跡して楽しんでいる。

Dsc_1176_2

資源開発大臣 表敬訪問

Dsc_1307_3

チュークラグーンの夕日

| | コメント (2)

2014年1月15日 (水)

メレヨン島の悲劇の詳細、ミクロネシア連邦 (115回)

平成26年1月15日

メレヨン島の悲劇の再掲載

太平洋戦争終戦末期の旧日本海軍並びに陸軍将兵達約6000余名の悲劇を

ご存知でしょうか?中部太平洋ヤップ州東南600キロに在るメレヨン島に日本軍将兵、海軍、陸軍、軍属等総員6,426人の将兵達が、当時戦線がメレヨン島周辺に展開されると予想した参謀本部の指令により同島に配属された。しかし、米軍はパラオ、ぺリリュウ島に上陸(1944年6月)して以降、戦線がグアム、パラオ以北に展開されることになった。

 戦線の背後に取り残された為に、食料、医薬品など生活必需品の供給が

中断してしまい、残された将兵達の悲劇が始まることになる。メレヨン島はサンゴ礁による環礁で、海抜は0.5メートル~3メートルの珊瑚島10数箇所からなる環礁で、地下水は塩分を含み、健康障害になるうえにデング熱などの伝染病が多発したと伝えられている。陸軍の独立混成部隊50旅団の3205人、海軍第44警備隊および第216設営隊を中心に3221名、合計6426人がメレヨン島に駐屯の命令を参謀本部が下した。

戦線がパラオ、グアム以北に移ってから、メレヨン島への補給が完全に断たれてしまい、自給自足の農耕すらままならず、とてもこれだけの人数に見合う食料は皆無に等しかった。現地住民たちのわずかな食料の提供などもあったが、もちろんこれだけの人数分は焼け石に水で、とてもまかなえるものでは無かった。

敵にも、味方にも見捨てられ,餓死者が続出、戦わずして、命を落とす将兵達は言葉に言い尽くせない無念さはどれほどのものか想像を絶する。この島から

生き残って、日本の土を踏んだのは、陸軍786名、海軍840名、合計

1626名、死亡率は実に75%と報告されている。陸海軍合計4800人が餓死、または病死したことになる。メレヨン島は実名ウォーレアイ環礁(Woleai Atoll)の事である。当時米軍の情報網にかからない為にカモフラージュした日本名をメレヨン島と呼んでいた。

終戦後、北海道、東京と福山市に生還者と遺族でメレヨン遺族会が設立され現在も活躍中である。

平成26年4月7日に福山市 備後護国神社境内で、メレヨン島戦没者慰霊前にて、第45回全国メレヨン島戦没者追悼慰霊祭が開催されることが決定している。厚生労働省などの支援により、現地へ遺族が15回渡航し遺骨収集を行っている。内7回は厚生労働省の主催で実施された。

しかし、遺骨の大半は日本へ帰還されたとするけれども,今尚、未帰還遺骨は

多数存在していると考えられている。海抜ゼロメートルのところで、埋葬されたはずの遺骨が風雨にさらされ、地上にさらされることがしばしば起きていることが報告されている。平成23年度遺骨帰還等慰霊事業については,遺骨

帰還事業として、8地域(フィリッピン、東部ニューギニア、ビスマルク、ソロモン諸島、インドネシア、パラオ、中国,硫黄島)、ロシア連邦等5地域と指定されているが、遺骨未帰還事業項目にメレヨン島(西カロリン諸島)は対象に含まれていないが、都道府県の遺族、団体、協力者等から埋葬地などの遺骨に関する情報が寄せられれば、厚生労働省へ随時連絡を願いたいとの項目があるので、メレヨン島の遺骨収集は現地島民の友好を築きながら、過去15回実施してきた。

最近の情報では、厚生労働省支援のもと、船舶によりヤップ島からに2昼夜の航海で現地への渡航が検討されている様である。一日も早く実現することを祈る。

                在伊丹ミクロネシア連邦名誉総領事館

 

Photo

ヤップ島南東約600キロ,環礁、海抜0~3メートル

5

太平洋上に位置する孤島

厳しい環境なれど約1000名の住民居住

上記写真はインターネット掲載写真から

| | コメント (2)

その他のカテゴリー

2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 | 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 | 2014年 | 2015年